1月13日「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」 これは、太平洋戦争中に
満州の闇の大物として君臨した甘粕正彦大尉の辞世の句(死ぬ前に読む俳句のこと。)です。
この句をじっと読んでみるとなんだかとても意味深くユーモアにとんだ辞世の句と思わないですか?
では、このユーモラスな句を詠んだ
甘粕正彦とはどんな人物だったのか?少しだけですが、端おって書いていこうと思います。
甘粕正彦(1891(明治24).1.26〜1945(昭和20).8.20 )

1891年に山形県で元士族の警察署長を父として生まれた甘粕は、当初歩兵を志しますが、
後に膝の怪我が元で憲兵になる道を選び、憲兵大尉となります。
そしてそのまま憲兵大尉をつとめていた甘粕ですが、1923年にかの有名な
甘粕事件が起こります。
甘粕事件とは、関東大震災の直後の1923年9月16日に無政府主義者の大杉栄・伊藤野枝夫婦と
その甥が憲兵隊に強制連行され、その後殺害されたもので・・(詳しくは
甘粕事件を
その犯人(実行犯)である甘粕の名前から前述のとおり甘粕事件といいます。
しかしこの事件はさまざまな陰謀説があり、後に甘粕本人も、
「あの事件は“俺がやった”ということになっている」と発言したされてます
(それほど闇の深い事件でこのころから甘粕は闇の世界へ頭角を現すこととなるのです。)
この事件で、甘粕は逮捕され禁固10年の判決を受け。服役。
出獄後の1930年に甘粕は満州に渡り、満州事変などの謀略に深くかかわり、満州の大物
としてなってゆきます。そして1939年甘粕は満洲映画協会(満映)の理事長に就任。
(謀略の資金源は満映からでていました)そこでの甘粕は大変優秀で紳士的に
振舞ったために評判がよかったそうです。
しかし1945年8月15日日本は敗戦してしまいます。その五日後1945年8月20日早朝
甘粕は服毒自殺。(享年54)そこでのあの辞世の句でした・・・。
甘粕にとって満州での謀略の数々日本の行く先はばくちだったのでしょう、
それに負けた甘粕は文字通りすってんてんになり、、自殺。・・感慨深い。
甘粕の人物にたいしてあの森繁久弥さんはこういっています。
「満州という新しい国に、我々若い者と一緒に情熱を傾け、一緒に夢を見てくれた。
ビルを建てようの、金を儲けようのというケチな夢じゃない。一つの国を立派に育て上げようという
、大きな夢に酔った人だった 」無口で無骨な硬骨漢としての一面もありながらその実、気の優しい人物だったようです。
(興味のある方は調べると大変おもしろい人物なのでぜひ調べてみてください)
最後に自殺直前、彼が満映の中国人従業員に話した言葉を紹介して終わります。
「これからは皆さんがこの会社の代表となって働かなければなりません。
しっかり頑張ってください。いろいろお世話になりました。これからこの撮影所が中国共産党のものに
なるにしろ国民党のものになるにしろ、ここで働いていた中国人が中心になるべきであり、そのために
も機材をしっかり確保することが必要です。」たまには歴史も・・ああおおばくちをしてみたい・・・
